【リラクセーション整体とは?】

整体とは、オステオパシー医学(整骨医学)です。

生活習慣やくせ、お仕事や家庭のストレスなど日頃の良くない生活環境の積み重ねによる体の歪みを、筋肉に働きかけ骨の矯正をすることにより本来の健康な状態であるバランスを取り戻し、血流を良くして新陳代謝を高めることで、自然治癒力、免疫力も高め、病気になりにくい体を作ります。そして、呼吸や圧加減、間合いなどから自律神経へもアプローチをしながら施術を行うものです。


【経絡と経穴】

4000年の歴史を持つ中医学理論の中の経絡説では、経絡は人体を流れるエネルギーの調整機能である、と考えられています。

地球の経度と緯度で例えると、縦が経度 横が緯度ですが、人体を縦に走る幹線を経脈、人体を横に枝分かれする線を絡脈といい、経脈と絡脈の総称が経絡ということです。

そして、各経絡にはエネルギーの出入りする箇所がたくさんあり経穴と呼ばれます(鍼灸でいうツボのことです)。経穴には奇穴やまた他に阿是穴(あぜけつ)と呼ばれるものもあります。経穴は全身に657穴あると言われていますが阿是穴なども入れるともっとあります。


【陰陽五行について】

陰と陽は

相対的な関係を言い、この世にある全てのものが陰と陽の相対する二つのもので考えられ、それらがバランスを取り合い正常に成り立っており、どちらかが多くても少なくてもバランスが崩れ自然ではなく良くないと考えます。

例えば、自然界では天(陽)と地(陰)、太陽(陽)と月(陰)、また春夏(陽)と秋冬(陰)。人間では 男(陽)と女(陰)、親(陽)と子(陰)、頭(陽)と足(陰)、緊張(陽)と弛緩(陰)、熱気(陽)と寒気(陰)、とこのようにです。

五行は

天地に、「木・火・土・金・水」という五つの基本要素があるとしてこれらの機能属性に、事物や現象を分類し人体にも同様に考えるものです。

<天地の運行>と<天変地異> を <体の生理>と<病気> 

と同様に考え、これらの相生関係(促進、協調の関係)と相克関係(抑制、支配の関係)を同じ論理と思想で考えたもので

相生関係・・・木が増えると着火し火が生まれ、火に燃やされ、土ができ、土の中に鉱脈、金が生まれ、鉱脈(金)から地下水が湧き出、その水により木が養われる。人体では肝臓が貯蔵した血液を心へ補充する、これが木と火の相生関係と同じと考える。

相克関係・・・木は土から養分を奪い、火は金を溶かす、土は水の流れをせき止め、金は木を切り倒す、水は火を消す。


【五臓六腑について】

東洋医学における臓腑はその性質と働きから五臓六腑に分けられます。臓腑の名称は西洋医学と同じようですが、解剖学的な内臓としてだけでなく、その働きから生理的機能も含めたものを一つに考えています。例えば、心は心臓を指すだけでなく「心(こころ)」の働きである思考や意識などの精神活動を含みますし、脾には膵臓、脾臓の実体とその機能を含みます。 また、心包や三焦といった西洋医学にはない機能概念があります。

五臓と六腑はそれぞれの働きにおいて特定の臓腑と切っても切れない「表裏関係(主従関係)」にあります。

五臓(表)(陰)・・・肝   心   脾   肺    腎  (心包を加えて六臓となる)

六腑(裏)(陽)・・・胆 小腸 胃 大腸 膀胱 三焦(実体がないため表裏関係のない腑) 

 


【整体の歴史】

前述に整体はオステオパシー医学(整骨医学)であるとしましたが、オステオパシーはアメリカの外科医アンドリュー・テイラー・スティルによって1874年(明治7年)に発表されました。

1864年、流行性髄膜炎により医師でありながら6人の娘を次々と亡くし、長女1人だけが生き残ったという悲しい事実から 彼は”健康と病気を解明”することに一生を捧げることとなったのです。

オステオパシーは病気に対する抵抗力、免疫力を高めるために体の関節に着目したもの。脊椎や四肢の関節の動きに障害があると、神経や血管の圧迫がおこり命令系統、情報機能が低下し病原菌に対する免疫機能が低下し病気になると考えた。

また、頭蓋骨は微妙に動くということを1899年ウィリアム・ガーナ・サザーランドというアメリカのオステオパスが発表した。

彼はテイラー・スティルの学校で骨が関節で動くことを学び、頭蓋骨が1つの骨ではなく23個の骨が複雑に組み合わされているのを見て頭蓋骨も動いているのでは?と推論し、後に実証されました。

日本では1921年(大正10年)山田信一先生により”山田式整体術講義録”が発行され、その中でオステオパシーの原理や定義が記されています。

1910年頃(明治末期)にオステオパシーがアメリカから導入され、大正時代には民間で盛んになり全国に広がりましたが、山田式整体術は実はオステオパシーの内容そのものだったのです。

 

日本古武術からみる整体の発祥については、728年、続日本書紀に聖武天皇が「相撲を取る人を全国から集めよ」と命令し、734年第1回目の相撲が開催された、とある。当時の相撲は今の相撲と違い、荒っぽいことがうかがえる。それは、そのための脱臼や骨折あるいは筋肉の調整術として現在の柔道整復師の原型である整骨術が生まれたと考えられるからである。

徳川時代初期(1688年~1703年)に著された、現在の中国整体といわれる小児推法が小児回春という名前で刊行された。徳川末期、1808年に二宮彦可が正骨編2巻を著し、1810年に各務相二が整骨新書3巻を著した。これが現在の整体の源流であろう。


つづく、、

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